シンジです。
この数日、X上でSlackの分報チャンネル、いわゆる「times」の是非が燃えていました。Slackを使っていない&timesなんて知らないという大多数の人たちには全く関係の無い話でもあります。
震源はChujo氏のnote記事「社内Slackのtimesで『お気持ち』を書くな」です。主語がなく、宛先がなく、「察してほしい」という無言の要求だけが漂うSlackへの投稿、これを「お気持ち投稿」と名付けて、構造的に批判した記事でした。宛先のない当てこすりは、名指しを避けた配慮に見えて、実は読んだ全員に「これは自分のことだろうか」という判定コストを課す「配慮の顔をした無差別化」であること。読む側は、スタンプを押しても地雷、スルーしても減点という詰みの盤面に置かれること。
読みながら、書かれている批判は正しい、と思いました。
それでも、当社のSlackでは今日もtimesチャンネルが従業員数全員分で動いています。今週の月曜に入社したメンバーも、初日に自分のtimesチャンネルを自分で作りました。全てパブリックチャンネルで稼働中です。
該当記事の批判が正しいのに、なぜ当社ではtimesの仕組みが壊れないのか。今回の騒動はそれを言語化するちょうどいい機会だったので、整理してみました。
なお先に一つ訂正しておくと、震源の記事はtimes廃止論ではありません。結論は「感情は捨てるな、変換しろ」です。不満を事実・影響・要望に変換して届くべき人に届けよ、という宛先設計の話です。X上では「timesは是か非か」の二項対立として消費されていましたが、原記事の問いはもっと精密です。
批判は「例外としてのtimes」に向いている
X上の議論をひととおり読んで整理すると、批判側の論点は大きく4つに分かれます。宛先を伏せた当てこすり(エアリプ)の問題。ネガティブな投稿が記録に残り検索され、意図しない形で伝播する問題。timesを読む読み手の工数は何なのかという問題。そしてボトムアップで勝手に始めたお気持ちtimesは不協和音の元でしかない、という組織前提の問題。
どれも、それ自体は正しい指摘だと思います。ただ、読み進めるうちに引っかかったのは、批判側も擁護側も、とある前提を疑わずに議論していることでした。
その前提とは、「本流はトピック別チャンネルであり、timesは個人が勝手に作る例外的なサブ空間である」というものです。原記事も、timesを「独り言の形式を借りた、公開のチャンネル」、つまり本流の議論とは別に、個人が書き流す場として描いています。この前提に立つ限り、批判は全部当たります。本流の議論が別の場所にあるなら、timesへの書き込みは「直接言えないことの逃がし場」になり、エアリプの温床になる。読む工数が業務として予算化されていないなら、読み手の閲読時間は無限に漏れ出すコストになる。原記事の言う「裏舞台の顔をした表舞台」という誤認も、timesがサブ空間だからこそ起きるわけです。
つまり、あの記事が批判した投稿類型は実在するし、例外型のtimesではほぼ必然的に発生する。そこに異論はありません。個人的に想像に容易く、心から同意します。
ただ、当社場合は、前提がそもそも異なります。
当社のtimeは例外ではなく、本流です
起源から話します。
シンジがtimesを始めたのはクラウドネイティブ創業時ではなく、もっと前のシンジがサラリーマンだった頃です。恐らくこの文化の起源は、株式会社クラフトマンソフトウェアさんのブログ記事「Slackで簡単に「日報」ならぬ「分報」をチームで実現する3ステップ 〜 Problemが10分で解決するチャットを作ろう」で、それを真似したあとすぐシンジの個人ブログで「Slackで消えた日報 | ロードバランスすだちくん」として記事公開したのが2016年の1月〜2月頃だと思います。どちらも記事はもう存在してません。
この時点で既に分報には賛否両論ありました。10年後の今も変わってないって感じですね。
そのときは自分のためだけの分報チャンネルを自分専用で作りました。そのときのチャンネル名が、たまたま「times」ではなく「time」でした。まぁ、単数でも複数でもどっちでもいいんですが、そんなこんなもありまして、当社では今もtimeと呼んでいて、これに深い意味はありません。
会社として制度が先にあったわけではありません。シンジの習慣が創業時にそのまま会社のインフラになった、という順番です。
現在の運用はこうです。
入社初日に time-部署名-名前 の命名で自分のチャンネルを作ります。全員必置、全てパブリック。勤怠のタイムカードbotも、傷病時の「休みます」の連絡も、「誰に聞けばいいか分からない困りごと」の一次受付も、全部timeに載っています。そして「未読を読む」時間を業務として認めています。その分、共有のためだけのミーティングを削っているので、トータルでは読む方が速い、というのが運用実感です。
どれくらい使われているのか、Slackアナリティクスの実数を出します。
2026年8月時点・直近28日間で、メンバーからのメッセージは30,750件。このうちパブリックチャンネルへの送信が97%、プライベートチャンネルが1%、そしてDMは2%です。
当社のカルチャードキュメントには「DM利用は最低限にする」と昔から書いてあるのですが、それが四捨五入でDMが消える水準まで実装されている、ということになります。time文化のお陰でDM率が極小化しているかと言えばなんとも分かりませんが、実態はこうなってますという具合です。
ちなみにこの当社のSlack環境は、2022年の第一回 Slack 活用アワードでDigital HQ賞をいただいています。
次に、実際にシンジ自身のtimeの直近をスクショしましたので貼ります。
ところで特に深い意味はありませんが、私の本名はサイトウシンジです。
「帰宅」「起きている」といった一言の独り言。気になったニュースのURL。その合間に、メンバーからの「プレゼン資料の土台ができました」という納品報告が挟まり、シンジから別のメンバーへの加筆修正依頼が挟まり、ハドルの開始通知が流れる。社長のtimeに、部下が普通に業務連絡を書き込んでくるわけです。逆も然りで、「誰のtimeに誰が書き込んでもOK」が当社の公式動線です。
ここが、原記事と前提が割れる場所です。原記事はtimesを「裏舞台の顔をした表舞台」と喝破しました。書き手だけが楽屋のつもりで、観客は全員着席しているというわけでしたが、当社のtimeは前提が違います。全員が表舞台だと知っている表舞台です。独り言の書き味で書いていても、それが放送であることを書き手も読み手も了解しています。宛先がないことも欠陥ではなく仕様で、困りごとを書けば誰かが拾うことが動線として合意されています。誤認が構造的に起きないなら、誤認から生まれる事故も起きようがない、という理屈です。
ただし、どの組織でも再現できるとは言いません
「ではtimesを全社導入すれば解決か」と読まれると、それは違います。シンジ個人としてはこの文化を推すこともなければ、うまく成立しなかったから失敗だとかなんて一切思いません。正直、あってもなくてもどっちでもよくて、組織カルチャーが成立していればなんでもいいのです。
ただあえて何故当社ではなぜtimes文化が成立しているのかを考えてみました。条件を数えると、少なくとも3つあります。
- トップダウンの公認です。
X上でAkira_Akagawa氏が「トップダウンでお気持ち表明を良しとする会社のみが自由に書いてよい」と指摘していましたが、当社はこの条件を最も強い形で満たしています。なにしろ代表の個人的習慣が起源で、代表自身が創業以来書き続けている。ボトムアップで始めたtimesが上長の顔色との戦いになる構造が、原理的に存在しません。 - 規模です。
当社は現在39名。「30人以下の組織ならお気持ちも書いた方がいい」という規模依存説をX上で見かけましたが、実感としても、全員が全員のtimeを読める規模の内側にいることが効いています。数百人規模で報告される「読む工数の爆発」や「人気度による発信力格差」は、この規模ではまだ発生していません。発生したらこの文化もどうなるかその時にならないと分かりません。 - 人です。
izm氏が昨年8月に書いた「timesはありますか?って聞くよりJerkをパージする仕組みはありますか?って聞く方がお得」という指摘は、身も蓋もありませんが、正しいと思います。全投稿が全員に見える環境は、攻撃的な人間が一人いるだけで毒の拡散装置に変わります。当社は面接やカジュアル面談の段階からこの文化で働けるかを説明しているので、結果としてtimeが守られていると思います。timesの成否を決めるのはtimesではなく採用だ、と言われたら、半分は認めざるを得ません。
逆に言えば、この3条件が欠けた組織にtimesの形だけ持ち込んでも、批判側が描いた地獄が再現されるだけだろうと思います。当社もいつまでこれが続くのかさっぱり分かりません。
当社で「お気持ち投稿」は起きないのか
起きにくい、が答えです。今回この記事を書くにあたってシンジのtimeを含む直近ログをそれなりの量読み返しましたが、主語なし・宛先なしの感情放流は見当たりませんでした。
理由は、ここまでの構造説明でほぼ尽きています。エアリプという行為は、「本音を言うべき本流の場が別にあり、そこでは言えない」という落差があって初めて成立します。timeに書くことがそのまま全員に直接言うことになる環境では、当てこすりを書く動機も、書ける隙間も小さい。当社のカルチャードキュメントの言葉で言えば「配慮と遠慮は別物」。課題に感じたことはオープンに言うのが規範なので、感情を未加工のまま放流して察してもらう迂回路を通る必要が、そもそもないわけです。
一方で、原記事が指摘した環境要因、すなわちリモートワークで物理的な楽屋(喫煙所、給湯室、退勤後の飲み屋)が消え、その機能がtimesに流れ込んだという点は、当社にも完全に当てはまります。創業時からフルリモートで、オフィスの雑談が最初から存在しません。だから「ちょっと聞く」「様子が見える」「机でボソボソ言っている独り言が聞こえる」というオフィスの機能を、timeとして意識的にオンラインへ実装した、というのが実態に近い感じです。楽屋が消えたから困るのではなく、楽屋も含めたオフィスそのものを最初からSlack上に建てた、という話です。
AIがtimeを読む時代
今回の騒動で、timesをAIとの接点として捉え直した人がいました。geeorgey氏の「Slack を人間だけで考える時代は終わってる」「(timesに当たるチャンネルは)人間との接点ではなくAIとの接点になる」という投稿です。
これは当社では既に現実です。
「Daily Work Report」という社内システムが毎営業日の未明に動いていて、Slack・Gmail・Googleカレンダー・Asana・Zoom・Box・GitHub・勤怠データの8つのデータソースから前日の活動を集計し(メール本文や会議録画の中身は収集しない設計です)、Claudeが本人向けのフィードバックレポートを生成して、本人のtimeチャンネルに投稿します。
前日の成果の振り返り、期限超過タスクの検知、翌日のフォーカス提案。いまの実装が読むのは前営業日分だけですが、timeに蓄積された非構造の作業ログと思考ログは、AIにとって最良のコンテキストで、「垂れ流し」がそのまま資産に転化する段階に入っています。
「AIが全部読んで集計しているなら、その数字はいずれ人事評価に使われるのではないか」という疑問もあるかもしれませんが、使いません。そしてこれは口約束で済ませていません。システムのデータ利用ポリシーとして文書化してあります。
本システムが収集・生成するデータ(活動メトリクス、AIレポート、マネージャー向けサマリーのすべて)を人事評価・査定・処遇の判断材料に使うことを禁止し、その禁止はデータの閲覧権限を持つ経営層にも適用される、という内容です。理由も文書に書いてあります。メッセージ数・コミット数・会議時間といった活動量は、職種によって意味がまったく異なり、評価指標として不適切だからです。これらは本人へのフィードバックの文脈としてのみ扱う、としています。
整理すると、当社の評価とtimeの関係は二層になっています。Slackでのアウトプットの中身は、評価の中心です。カルチャードキュメントに、報酬を決める評価要素として「Slackの内容(最も多くの割合を占める)」と明記してあります。ただしそれを読んで判断するのは人間であって、AIやメトリクスではない。量は測っても評価には使わない、質は人間が読む、AIは評価者にしない。SlackにAIを接続する組織はこれから増えると思いますが、この線をどこに引くかを決めないまま接続すると、timesを含む全てのメッセージは資産ではなく監視装置になります。
まとめ
成否を分けているのは、timesというチャンネル形式そのものではなく、組織の情報設計の中でそれが例外なのか本流なのか、という位置づけです。個人が勝手に作るサブ空間で、読む工数は無予算、本流の議論は別の場所にある。そういう例外なら、今回の批判は全部当たります。全員必置で、読む時間が業務で、勤怠も休暇連絡もAIレポートもそこに載り、トップが公認している。そういう本流なら、同じチャンネル形式がフルリモートの弱点を強みに変える基盤になります。
みなさんあまり意識していないかもしれませんが、あくまでも会社が貸与したMacやPCやスマホで、会社が貸与している有償のSlackアカウントを使って、会社員として必要なコストは会社に負担してもらっている状態でSlackに接続している、ということを考えるだけでも、投稿や読み手の質も内容も変わるかもしれませんね。